自分史を作ること
🔳自分史に思うこと
私は、今のところ自分史を作る理由は、大きく次の3点にあるかと思っています。
Ⅰ、今までの生き方、自分を書き記しておくもの
Ⅱ、今までを振り返ることで、自分を知りこれからをより自分らしく生きるためのも
Ⅲ、作成工程を楽しむもの
以下では、自分史作成にあたって考えたことをまとめてあります。
少し長いので時間のある時に
良ければ、お読みください。
▮なぜ私はいま自分史を書くか・・・その目的
自分史は商業出版を目的に執筆する人もいますが、
私の場合は商業出版を目的として書かないため、店頭に並ぶことはありません。
ですが、出来栄えや、書き終えた後の気分によってはデジタル書籍として公開するかもしれませんし、
国会図書館に納本できるらしいのでそうするかもしれません。
ではなぜ私が37歳で自分史を書き始めたのかといえば、
まずは、自分の過去を1度振り返ってみようと思ったからです。
そしてもう一つは、自分史作成の工程や完成させることで何か得られるものがあるのではないかと、
自分史を作ることに可能性を感じたからです。
ならばまず作ってみようと思ったのです。
なぜ自分の過去を振り返りたいと思ったのかといえば、
今後何をすることに力をいれ何を成し遂げたいのか。どうなりたいのか。
自分は何ができて、どこができないのかを過去を振り返ることで見直す、または見つけることができると考えたからです。
10代の頃は色んな夢や目標を持っていました。
中学生の時はプロ野球選手になりたかったですし、その後は、
考古学者、船乗り、映画監督、イラストレーター、漫画家、アニメーターといつも何かになりたいと願っていました。
そこで、では今は何になりたいのか。
今までの経験をつなぎ合わせ、職業という縛りに捕らわれずどんなことができて何をしたいのか。
自分史を作ることで、そんなことを考えるきっかけになるかと思ったのです。
人生100年時代と呼ばれる中、一般的に老後と呼ばれる期間は長くなります。
そこで自分史を作る工程を楽しむこともさることながら、
作成することで長年やりたかったことが探し出せる、思い出せると考えました。
普通に生きていれば、過去を思い起こすことはごくごくたまにだと思います。
本来、好きだったことや、本当はこんなことがやりたいのではないかということ、
または少し興味があったけど忘れていたことが見つかるかもしれません。
そして次に、自分史を作ることが持っている可能性とは何かについてです。
37年のうちでさえ、もはや忘れていた大切なことがあります。
例えばそれは、たまたま開いた21年前の日記帳から蘇りました。タイトルは、
「7月30日 炎天下 陸上記録会当日」
男子1500メートル走は女子800メートル走の次だった。
『女子、アップに行くぞ』と先生が言うと僕は緊張してきた。
緊張した体をU君が足を伸ばしたり揉んだりしてほぐしてくれた。
そして、H先生の声がかかると男子もアップに行った。
H先生がエアーサロンパスを太ももと、ふくらはぎに吹きかけてくれた。」
この文章は私に当時のエアーサロンパスの匂いを思い出させ、
同時に昼に食べた母が作ってくれたレモンのはちみつ漬けの甘酸っぱさと食感を思い起こさせてくれました。
そして今はエアーサロンパスを吹きかけ、レモンのはちみつ漬けを作ってくれたH先生や母の年齢に近くなり、
まだまだ子どもだった自分のことを応援してくれていたのだと共感できます。
当時はわからなかったけれど自分史を書くことで過去をとらえなおすことができる。
実はあの人が、あの出来事が、どんなことが大切だったのかがわかり、
今の私を形作っているものは何かが見えてきます。
そして、そこから自分らしさが見えてくるのではないでしょうか。
また、自分史を作ることで、日本で何が流行り世界ではどんなことが起きていたかを、
そのときの自分と、そして周囲に関わってくれた人たちとの関係性も考えながら、
客観的にとらえなおすことができます。
自分史の作成をすることが、自分と歴史とのつながりを強く認識させてくれたり、
新たな発見をさせてくれたりしてくれる可能性を、私は期待しています。
自分史を書いてみてはどうですかと勧めると
「私は自分史を書くようなたいそうな人生を送ってきていないですから。」とおっしゃる方が多いです。
しかし、私は自分史と呼ばれるものは、一般の人が書くものなのだと思っています。
一般の人が書いたものが自分史、立派な人が書いたものはもうそれは偉人伝だという考え方です。
時代が流れるにつれて「自分史はただ記録を書き連ねるもの」というツールから、
「自分史は制作過程を楽しんだり新たな発見をしたりするもの」という側面が大きくなり、
そして個々人のアイデアによりさらに時代にマッチした自分史へと変化していく可能性があるものだと思っています。
▮自分史の流行
まず、自分史の生みの親と呼ばれる、歴史家であり東京経済大学名誉教授である色川大吉氏によれば
「個人にとって真に歴史を振り返るとは何を意味するのか。その人にとっての最も劇的だった生を、
全体史の中に自覚することではないのか。そこに自分の存在証明を見出し、
自分をその大きなものの一大要素として認識することではないのか」『自分史』(講談社学術文庫、1992年)
とあります。
このような自分史への意識はときを経ることで変わっているように思えます。
その背景には、インターネットを利用することで自分を表現することが身近になったことが関係しているかもしれません。
2010年代に入り、自分史はもっと気軽に始められる敷居の低いものとなっています。
その理由は、日記、フォトブック、フォトムービー、音声なども自分史の範疇に入るという考え方が
一般的になってきたからです。決して文章中心のものや、文書のみで構成されたものが自分史ではないのです。
その手軽さが自分史に取り組んでいる人達の増加につながっていると思います。
▮自分史がもたらすこと
一般的に自分史を書くことでどんな効果があるかといえば、
今まで誰に助けられたか、どんな人と出会ったか、自分がどんなことを大切にしているかを再確認でき、
自分らしさを見つめなおす、また自分をよりよく理解できるため自己紹介の際などに役に立つ。
その他にも、子孫に記録として残せることや、友人に配ることもできることなどがあげられます。
さらに、過去を思い出すことは認知症対策にもなると言われていますし、
家族の写真を年代順にレイアウトしていったり、ペットの写真を集めてフォトブックを作ったりと「楽しさ」の部分もあります。
▮私の自分史に対する考え
過去の出来事は、今の自分によって修正され、
時がたてばその時の自分によりさらに修正されます。
その修正は、いまの自分が過去の出来事をどうとらえているかを示しています。
自分史をいつ書き始めるかは個人の意思によりけりですが、
すでに書いている人に会うとみな芯があるように思います。
それは、自分の過去と一度対峙してかみ砕いて自分事として消化しているからではないかと思います。
私の自分史における、記憶と思い出に関する主観ですが、
人はその時々に体験したことのすべては、その時点では体験しきれていないように感じます。
昔住んでいた街を訪れたとき、洗剤のにおいがふいに風に流れて鼻孔に届いたとき、
セミの音を聞いたとき、そんなとき、ふと昔の頃を思い出し柔らかな感情が心の奥底をくすぐることがあります。
その個人の、ましてや一般人の私の記憶や思い出は、
とても些細でたわいのないことです。
そして、これらのことは感覚的なことで自分しかわからず共感してくれる人はいないかもしれません。
ただ、自分しかわからないことだからこそ記憶を手繰り寄せ、形として残すことに意義があると考えます。
自分史はそのツールです。
偉人でも英雄でもない、一般の私たちの些細な記録があってこそこの世界が形成されているのではないでしょうか。
自分はあの時代、その時代にしっかりと存在していた。
寺尾聡の「ルビーの指環」がヒットしたときに生まれ、
湾岸戦争が開戦した年に陸上記録会に出場し、9.11同時多発テロのとき、熊谷で初めての一人暮らしをしていた。
世界、日本の出来事と自分をつなぐこと。
その作業は、自分の立ち位置を強固にします。
それが自分史やそのような振り返りを経験した人に見える芯の強さに通じているのではないかと思います。